前々回、前回とASAの土台になっている考え方――「根っこと幹」と「コツを掴む早さ」――についてお話ししてきました。
今日は少し違う話をさせてください。ASAが、なぜ僕にとって単なる「習い事の教室」ではないのか。その理由の、一番奥にある個人的な話です。
日本で、プロになれなかった
僕は、日本でプロサッカー選手になることができませんでした。
大学までサッカーを続けて、それなりにやってきたつもりでした。でも、日本という国、日本というマーケットの中で「プロ」という椅子は、僕には用意されていませんでした。正直、悔しかったです。あそこで終わっていたら、今の僕はいません。
タイという国が、椅子をくれた
そんな僕に、「やってみないか」と声をかけてくれたのが、タイでした。
正直、最初は不安しかありませんでした。言葉も違う、文化も違う、サッカーのスタイルも違う。日本で通用しなかった自分が、海外でやっていけるのか。
でも、タイは僕を受け入れてくれました。そして気づけば、日本人として初めて、大学を卒業してタイリーグでプロ契約を結んだ選手になっていました。
大学まで真面目に続けてきた道のりと、いろんなスポーツで培った「コツを掴む早さ」(前回お話しした話です)。その両方があったから掴めたチャンスだったと思っています。でも、その舞台そのものを用意してくれたのは、間違いなくタイという国でした。
もらったものは、返す
タイでプロとして戦わせてもらって、たくさんの人に助けられました。チームメイト、スタッフ、応援してくれたファン、そして何より、僕にチャンスをくれたタイという国そのものに。
日本で終わっていたかもしれない僕のキャリアを、タイが拾ってくれた。だったら、もらったものは、どこかで返さなければいけない。ずっとそう思ってきました。
恩着せがましい話ではありません。僕にとっては、すごく自然な感覚です。誰かに助けてもらったら、次は自分が誰かを助ける番。それだけのことです。
ASAは、その恩返しのかたち
Advance Sports Academyを立ち上げたのは、その気持ちが一番大きな理由です。
タイの子どもたちに、僕が日本とタイの両方で学んできたこと――走り方、身体の使い方、いろんなスポーツで引き出しを増やすことの大切さ――を、全部渡したい。それが、僕にできる一番のタイへの恩返しだと思っています。
そしてもうひとつ。ASAが向き合っているのは、子どもたちだけではありません。今まさに夢を追っている、若い選手たちにも同じことを伝えたいと思っています。
日本でダメでも、終わりじゃない。国境を越えれば、自分に合った舞台がどこかにある。僕自身がそれを証明できた一人だから、胸を張ってそう言えます。だからこそ、「模範」でありたい。うまくいかなかった時期も含めて、正直に自分の道のりを見せることが、誰かの背中を押せると信じています。
根っこと幹の、その先にあるもの
前々回、「根っこと幹を太くする」というASAの考え方についてお話ししました。あれは技術やトレーニングの話でしたが、今日の話はその一段上、「なぜそれをやるのか」という僕自身の理由です。
根っこと幹を太くした先で、いつか大きな花を咲かせてほしい。そして、その花がいつか誰かの役に立つ日が来てほしい。そう思いながら、僕は今日もバンコクで子どもたちと向き合っています。
日本でプロになれなかった僕に、タイがチャンスをくれた。今度は僕が、タイの子どもたちと、夢を追う若い選手たちに、チャンスと土台を手渡す番です。